日々コレ雑感☆

ちょっと高めのコレステロール値と、うまく楽しく付き合う毎日の記録

【祝☆卒業】母も卒業か

本日は娘の高校の卒業式。

式自体が中止になる学校も多い中、本当にありがたいことです。

ただ、コロナの関係で保護者は一切立ち入り禁止。

自宅でライブ配信を見ながらの参列でしたが、

超簡略化された式は内容が研ぎ澄まされており、かえって感慨深いものでした。

 

思えば高校入試の煩わしさが嫌で、中高一貫校に入学させた6年前。

遠方の学校だったものの、奇跡的に同じ駅から電車に乗る3人の同級生に巡り合ったおかげで、片道1時間強の通学時間も娘にとっては楽しいものになりました。

それまで4人とも別の小学校に通っていた知らない同士だったのだから、人の縁や出会いって不思議なもの。

偶然最寄り駅が一緒だっただけなのに、彼女たちは妙に馬が合ったらしく、学校帰りにスタバの新作メニューをこっそり買い食いしたり、休みの都合が合えばしょっちゅう連れだって遊びに出かけたりしていましたっけ。

みんなそれぞれに運動部の部活を最後までやり通しー

5時起きでお弁当を作る日も多く、親は文句タラタラでしたが・・・)

勉強もそれなりに頑張り?

最後の登校日となる今日、何か月かぶりに4人揃って同じ電車に乗って学校へ向かったようです。

 

部活にクラスに近隣エリアの仲間たち。

帰国子女の多い学校だったこともあり、

優れた一芸や人目を気にしない強さを持つお嬢さんが多く、

我が子は良い刺激をたくさんもらいました。

そのせいか小学校時代は周りの空気ばかり読んでいた娘も、

中高6年間でずいぶん自分の色が出せるようになったと思います。

決して成績などで華々しい結果が出せたわけではありませんが、

「人」にだけは恵まれていたと自信をもって言えますね(笑)

 

この6年間での出会いと経験こそが、彼女にとって最大の宝物。

多分今頃は、部活の仲間たちとサイゼリヤでバカ騒ぎしていることでしょう。

その貴重な財産をこれからも大切に、新しい世界に飛び出して行ってほしいと願う母。

 

本日をもって正真正銘、親の監視下で過ごした子ども時代とはお別れ。

卒業おめでとう。

そしてワタシも卒母おめでとう!

 

 

【戦い済んで腹減って】受験終了!旅立ちのとき。

パート勤めを辞めてまで臨んだ、娘の大学受験がついに終了しました。

と言ってもまだ国立の発表待ちではありますが・・・

先月の今頃、センターの結果を見て当初掲げていた第一希望(無謀チャレンジ校)はあきらめ他校へ出願。

結果的にほぼほぼ、実力通りの合格が出そろいました。

わが娘はおそらく、地方で独り暮らしをする道を選ぶでしょう。

そう考えると一緒にとる食事もあと数えるほど。

家を出ることは想定していたはずなのに、本当にいなくなると思うと不思議な感じです。

少しずつ自炊や買い物の練習もさせないと!」

と思って昼食をお願いしたところ・・・これまで料理など何も教えてこなかったのに、アラ不思議。

モッツァレラチーズやバジルまで駆使して立派なパスタがご用意できましたとさ。

きっと息子なら心配や寂しさの方が先に立つのでしょうが、女の子は独立心旺盛というかなんというか。

あまり感傷に浸るヒマもなさそうです。

 

コロナの関係で入試後の登校日もなくなり、気が付けば最後のお弁当作りが終了していたことに気づいたマダム。

ラストお弁当に大したものを持たせてやらなかったことを少し後悔しています。

やっぱり何でも「これが最後」という気持ちでいないとだめですね。

 

大逆転劇はなかったけれど、”予定通り”に無事受験が終了できたことに感謝。

3年ぶりに全部飾ったひな人形を前に、今年は一緒に五目寿司を作って門出を祝いたいと思っています。

 

 

【受験直前★悲しき食の記憶】

今年もやってまいりましたセンター試験の季節。

天気予報ではお約束通り、雪かもなんて言っています。

例年なら「ああ、私の時もそうだった・・・」

なんて感慨に浸っているだけで済むのですが、

今年はそんなゆったりとしていられないのよ!

 

実はマダムの子が受験するわけなんでございます。

もう毎日がハラハラ&ドキドキ。

というのも私自身、センター試験には特別苦い思い出があるもので。

 

時をさかのぼること30年ほど。

受験を控えた私は、母からの命令で1週間ほど前から生ものは一切口にせず、

鍋を中心とした献立で決戦の日を待っていたわけであります。

おかげで風邪もひかず体調は万全、だったはずが・・・

受験2日前の夕食。

あの時の献立は確か水炊きでした。

火は十分に通っていたはずでしたが・・・

なぜかその夜から下痢スタート。

時間が遅くなるにつれ、症状はどんどん重くなっていきます。

日付が変わる頃にはいよいよ嘔吐も開始。

朝を迎える頃には、上下ともに排出する内容物がなくなり

人生初の胃液逆流を体験。

白湯を飲んでは戻し、下しを繰り返すこと数十回・・・

それまで便秘で悩むことはあっても、

下す経験はほとんどなかった私にとって、

これは前代未聞の地獄の苦しみだったわけでございます。

 

開院を待って近所の医院に駆け込んだところ「急性胃腸炎」の診断。

それで「明日、受験なので」と言った途端に

「お尻出してください」

と言われ、問答無用でベテラン看護師に何かの注射を打たれました。

18歳の乙女なのに、なぜ腕ではなくお尻に注射???

という衝撃は大きかったですよ、ホント。

何しろ当時の病院は、患者の要望を聞くとか、薬について説明するとか皆無(笑)

診察台に乗った時点で人権はありませんでしたから。

まあでもその尻注射のおかげで、楽にはなったから結果オーライ。

今から思えば、あれはノロウイルス”だったのかもしれません。

でも当時はまだそんな病名自体が存在しませんでしたし。

医療も医療現場も、進化したものですよ。

 

実はこの体調不良、マダムには思い当たるフシが・・・

というのもあの日は、学校帰りに長年通っていた塾の壮行会みたいなのに顔を出したんです。

自転車は危ないからと、普段は乗らないバスを使って。

そこで出されたお菓子を・・・食べたんですね。

駅やバス内でいろいろ触った汚い手で(笑)。

その時参加していた仲間は特に何ともなかったようなので、

お菓子自体は安全だったはず。

問題は自分の手にあったのでしょう、トホホ。

 

 

そうして丸1日眠り続け、ひたすら体力の回復を待って迎えた試験当日。

窓を開けると南国には珍しい雪。

その光景に軽く衝撃を受けたものの

下痢や嘔吐という最悪の状態は脱し、

なんとか試験は受けられる状態になっていました。

でも不思議なことに、左にも右にも首が回らなかったんです(笑)

おまけに1日寝ていただけなのに、足はガクガク。

何しろ丸2日間、何も食べられない状態で放出するばかりでしたから。

「食糧難の戦時中って、ほんとに大変だったろうな」

などと全く関係のないことを考えて気を紛らわせたことを覚えています。

 

車で送ってもらい、何とか会場にたどり着いたマダム。

そこで担任の先生やクラスメイトに声をかけられたものの、

首が回らないから一切振り向けず!

「よほど緊張しているのだろう」と思われたでしょうね・・・

直立不動のヨチヨチ歩きで教室までの数十メートルを何分もかかって移動し、何とか受験を終えましたとさ。

結果は・・・まあ体調不良のせいで散々だったことにしておきましょう!

 

そして30年が経った今。

水炊きに罪はないけれど、やっぱり縁起が悪いなと避けてしまう母としての私。

でもそんな風にいくら親が気を遣っても、子はきっとワタシの見ていないところでいろいろ食べているんだろうな。

受験生のみなさん、何かを口に入れる前には必ず手を洗いましょうね。

 

 

 

【いろいろあって、また書くことにした】

気が付けば、令和2年。

令和元年は、前回の記事でちょっと触れた義母が亡くなったり職場の制度が変わったりと、てんやわんやの年でした。

そんな事情で毎日を終えるので精いっぱい。

記事の更新は華麗にスルーし、気が付けば1年近く経っていましたとさ。

しかし子が受験を控えていることもあり、年末でフルタイムパートを辞めたマダム。

時間ができたので、またちょっとずつ書いていきたいと思います。

 

それでこのブログを始めるきっかけになったコレステロール問題ですが・・・

なんと昨夏の健康診断で大幅ダウンに成功☆

さすがに基準値内には入りませんでしたが、次回健康診断までの経過観察でOKという

結果になりました。

しかーし、まだまだ油断は大敵。

コレステロール値は改善したものの、糖質制限してたんぱく質を摂りすぎたせいか、今度は腎臓の方の数値に問題が・・・

ああ、悲しき中年のカラダ。

今年もアブラとの戦いは続くのだ!

ああ、ケンタッキーが恋しい。

 

 

 

 

【何と半年ぶりの更新】

何かと家の取り込みごとが多く、気がつけば半年もブログ放置。
いかんいかん。
年末年始から鍋の季節にかけてたらふく食って、気付けばもう春。
しまった!また健康診断の季節が近づいているではないか。
でもね、この半年で考えがちょっと変わりました。

その発端は、正月に会った夫の母親の姿。
認知症で見る影もなく衰えていました。
なのに食欲は高校生の孫たちを凌ぐほど!
もう可哀想なくらい一日中口を動かしています。
きっとこれまで我慢した分を取り返そうとしているのでしょう。

というのも、わが姑は、手作り命&栄養第一で何十年間も真面目に専業主婦を務めあげた人。料理はお世辞にも上手いとは言えませんでしたが、家族の健康を思う気持ちは尊敬に足るものでした。

だから食事は野菜中心。
添加物にも細心の注意を払い、コンビニとも惣菜とも無縁の暮らしをしていたわけです。

それなのになぜか、昔から舅も姑本人も大病のデパート!
私が嫁いできた頃には、夫婦揃って三大疾病すべて制覇。
中年以降40年近くさんざん節制し続けて、誰よりも健康状態が悪いときた。
おまけに今は認知症
もう外食もできる状態ではなく、味も分からないらしい。
自暴自棄になっているのか、これまで忌み嫌っていたスナック菓子やインスタント食品を貪る毎日。悲しすぎる。

これなら元気なうちに好きなものを食べて、ぷっつり逝ってしまいたい。まあ、ぷっつり逝かせてもらえないから問題になっているんだろうけど。
本当に尊厳死について真剣に考えないといけないわ。
まあ暴飲暴食していい理由にはならないけどね。

【スナックの快楽 バーの愉悦(その2)】

昔話しか書かなくなってきている今日この頃・・・

気を取り直して今日はバーのお話を。

さて、同じお酒を出す夜のお店なのに、前回のスナックとは全く様相の異なる“バー”という空間。もう語感からして違うもんね。

名探偵マーロウや舘ひろしみたいなシブいおじさんばっかりが居るところ。

いくら年をとっても、お金を持っていても、入れない人は入れない(笑)

なんというか、入る資格や理由を要求されているような敷居の高さが苦手でした。

で、20年前に先輩に初めて連れていかれたのがなんと“ジャズバー”

え、なんで?ワタクシ、そもそもジャズがよく分かりませんのに・・・

ハルキ・ムラカミの初期の小説に出てくるような所かな?と恐る恐るついて行ったら、まさにイメージ通りのお店でした。

真っ黒な分厚いドアを開けると、カウンターの中にいた中年の女主人が目だけであいさつ。

「あ、今日はお連れさんがいらっしゃるのね」みたいな目の動きがカッコよかったことを覚えています。

演奏があるような大きな規模の店じゃなくて、カウンターだけの小さな店舗。

ほとんど照明もなく、古いジャズのレコードが音量抑え気味にかかっており、小柄なマダムが一人で経営しているようでした。

当時30代前半だった先輩は常連らしく、何も言わずにいつも座っているらしい席へ・・・

背の低い私は、音をたてないようにスツールに腰掛けるので精いっぱい。

で、先輩は「いつもの」みたいなことをつぶやいて早々に自分の世界に入っちゃったじゃないの!どうすんのよ、ワタシ。これ、放置プレイですか?

先客が2人ほどいらっしゃいましたが、これまたみんな無言

を閉じてジャズの世界に入っていらっしゃいます。

いや困るんだよねー、この感じ。ワタシ、声が大きいから

苦手な小声で話さなければならないプレッシャーのせいか、肝心のお酒については何をどう注文したのかは全く覚えておらず。

手作りっぽいトリュフチョコが載った小皿が、サッと出てきたことだけを鮮明に覚えています。

冬だったのでホットカクテルを飲んだ気がするのですが・・・

カルーアミルクの熱いようなやつ。

何しろマダムの佇まいに圧倒されちまってね。

失礼ながら美人じゃないし、若くもない

おまけにニコリともしない

ショートカットの小柄な人で、ゴージャスっていうわけでもない。

TVによくでてくるような長身で手足の長い女バーテンダーみたいな派手さもない。

なのに素敵なんです。

パリのマダムみたいな高級感があって。

愛想はないけど、全部察してくれる。

最初はみんな無表情&無言の空間に戸惑いましたが、慣れると居心地は悪くない。

こちらも無理に笑顔を作る必要がないから。

ここではしゃべらないことが一番のおもてなしなのかも。

ジャズはさっぱり分からないけど。

レコードの音って、温かみがあっていいなと思いましたね。

そんな風に過ごした小一時間。

先輩が急に「帰るぞ」と言い出して、ジ・エンドとなりましたが、貴重な体験になりました。

なんでこのお店に連れていかれたのかはいまだに謎ですが、当時変にサービス精神を発揮しすぎて疲れ気味だった私を解放してくれたひと時でした。

粋だね、先輩。サンキュー。

 

【スナックの快楽、バーの愉悦(その1)】

さて、マダムの独身時代を語るのに避けては通れないのが”酒”の話。

今回は人生ではじめて入ったスナックのお話を展開してみます。

 

合コンやら同窓会が花盛りだった20代の前半~半ば頃。

大勢の同世代の友人と出入りするのは、依然としてオシャレ居酒屋が中心でした。

学生時代よりはグレードアップしたとはいえ、やはり本格的にお酒やディープな社交を楽しむには物足りない感じ◎

でも、職場には上司という名の偉いおじさんや、お金の使い道を持て余している独身の30代男子がたくさんいるわけでございます。

で、こういう方々が連れて行ってくれたのが、いわゆる“いきつけのお店”

なぜか自分の隠れ家を、まっさらの年若い人にこっそり教えたくなるその気持ちー

今ならすごく分かります。自己表現の一種ですよ、アレ。

皆さんももし誘われたら、「わーすごい」って驚いてあげてくださいね。

じゃあ今日はスナックのお話を。

 

まあ、スナックはですね、どんな田舎にもあるじゃないですか。

おもに近所のおじさんたちが飲んでカラオケ歌ってっていうやつ。

うちの田舎にも何軒もありましたよ。

中には同級生の家が経営しているお店も。

でもホラ、そこは大人の世界

店の前を通ることはあっても、子供が入ることは許されなかったわけで。

店内の様子に関しては、刑事ドラマの聞き込みシーンで出てくるイメージしかありませんでしたね。

酒やけしたハスキーボイスのママが、咥えたばこで気だるい接客、なぜか焼うどんがメニューにあって・・・そんな感じ。

で、24歳にして次長と課長に連れられて入ったスナックは・・・イメージと寸分違わぬめくるめく世界!

ギンギラギンのミラーボールにカラオケセット。

中年のママに、アルバイトの若いお手伝い美人スタッフが2人ほど。

違っていたのは、2つだけ。

焼うどんのかわりに焼きそばがあったことと、ママの性別が不明だったこと!!

え、どんなママだったかって?

体格は縦にも横にも立派なかなりの大柄。

髪型はベリーショートというか坊主。

厚めのメイクにマツコ・デラックスが着ているようなドレスを着用なさっていました。

さらに声では性別の判定不能(笑)。

後で10年来の常連客である次長に確認したところ、多分ホンモノの女性だろうとのことでした。

あ、そこは気にしちゃいけなかったのね。

ていうか、私はその性別不詳のママ(パパ?)に歓迎のKissをされたんだけどね(笑)

で、私たちが入店した時にはすでに上司のお友達である常連さんが4~5人既に盛り上がっている様子。オジサンたち、赤い顔で私たちを見るなりもう大騒ぎ。

夜のお店というより、友人宅の家飲みに連れていかれたような感じです。

居合わせた方全員の自己紹介からスタート。

勤務先や役職、お子さんの人数までオープンにしてくれるからなんかスゴイ。

一人紹介が終わるごとになぜか全員でカンパーイ

店内の内装はコテコテ&ギラギラなのに、雰囲気は底抜けに明るく健康的!!

その時点で拍子抜けしましたね。

その辺はママのキャラと、集まるお客さんによって店ごとにかなり違うんでしょうけど。

みんな酔っぱらっているせいか、会話のボリュームは最大。ほぼ絶叫ですね。

で、バカなことを言ってはママに叱られたりビンタされたりというパターン。

今でいうならドS系のお店かも。

でもそのサジ加減が絶妙で、とにかく笑える。

嫁には毎日怒られても、お母さんに叱られることのなくなったオジサンたちには、たまらない愛のムチだったのかもしれません。

そんなやり取りを眺めながら、私はこれまた人生初となるウイスキー(上司のボトル)をロックで飲みつつカラスミをご賞味。

ウイスキーの香しい匂いと喉がピリピリする感じはよく覚えていますが、味の良しあしはさっぱり分からず。

調子に乗って飲んでしまった挙句に酩酊

ウイスキーは他のお酒と違って急に目が回るんですね~。

突然落とし穴にはまり込んだように、ママと上司のカラオケデュエット「男と女のラブゲーム」の途中からぷっつりと一切の記憶がナシ。

タクシーを呼んでもらって何とか帰りましたが。

翌日、これまでにない二日酔いで一日中ダウン。

飲んで吐いたのは生まれて初めての経験でしたね。

さらに大声を出しすぎたせいか声も出ず。

あ~、飲みに行ったのが金曜の夜でよかった。

でもこのディープな楽しさに目覚めた私は、その後もたびたびこの店に出入りすることに・・・

残念ながら10年前に閉店してしまったけれど、いいお店でしたよ、ホント。