【コロナ雑感 志村けんさんの訃報に思うこと】
つい10日ほど前は、何となく解放的な雰囲気が漂っていた我が家。
何年かぶりに特上寿司の出前で卒業祝いをしたり、引っ越し準備をしたり・・・
そんな浮かれ気分が、この1週間で完全に覆ってしまいました。
娘の大学は、授業開始も入寮も延期の上、前期は完全オンライン授業に変更。
夫の会社も急きょテレワークへの切り替えを決断しました。
ニュースを見れば急激に増えていく東京の感染者数。
そして今日、入院中だった志村けんさん逝去のニュースがー
もう「ウソでしょう?」としか言えません。
志村さんと言えば、アラフィフ世代の私にとって特別な人。
どんなに時代が変わっても、子どもたちの、そして親子で楽しめる時間帯の”スタア”でした。
今から40年ほど前の昭和後期―
当時、毎週土曜はドリフの「全員集合」の日でした。
相当厳しい家でも「学校で話の輪に入れなくなる」という理由で、この番組だけは視聴OKになっていたもの。
音楽の時間に「カラスの勝手でしょ~」と歌って怒られたり、
給食の時間に鼻から牛乳を出すギャグの真似をしたクラスの男子が校長室に呼ばれたりして、PTA的にはいろいろ問題もありましたが、結局は親や先生も楽しんで見ていた番組です。
松田聖子をはじめとするトップアイドルの出演も多く、
華やかさと同時に手間のかかった大道具を盛大に壊す痛快さを味わえる、お祭りのような時間でした。
そしてドリフの流れで、なぜか9時からの土曜ワイド劇場も見ていたマダムの実家。
子どもの時間と大人の時間がはっきりと区別されていたこの時代。
ドリフでバカ騒ぎした直後、急に明智小五郎(天地茂さんだった!)や金田一シリーズのおどろおどろしい暗い画面に切り替わる瞬間に、なんとも言えない興奮があったことを鮮明に覚えています。
その後、全員集合が終了してからも、
夏休みや冬休み前の特別な時期には必ず”バカ殿”や”変なおじさん”になってテレビに登場し、笑わせ続けてくれた志村さん。
私は大人になってからも、季節の変わり目には必ずバカ殿を見て次のシーズンへの切り替えをするようにしていました。
毎度お約束のワンパターンな話の展開に安心しつつ、毎回変わるゲストのフレッシュな反応を見る面白さはやめられない。
あらもう自分自身が変態バカ殿ですね。
しかし考えてみれば、”バカ殿”というあのキャラ、当初は前代未聞の斬新な概念だったはず。
だって昭和や平成の初期ってまだまだ「お殿様」を笑い者にするのはタブーな時代でしたから。
あの独特のおかしさは、白塗りにおちょぼ口メイクという見た目の突飛さだけが醸し出すものではない。
「お殿様=ヘンでも形式上は敬うもの」という既成概念を打ち破り、笑ってはいけないものを笑いものにしてしまったチャレンジ精神にあるのではないかと思っています。
そして時代は平成を経て令和へ。
親とともにバカ殿を見て育ち、「しむら動物園」を心の支えにして成長した21世紀生まれのわが娘は、高校生になってからも季節ごとの「だいじょうぶだぁ」の放送チェックを怠りませんでした。
だからついこの前放送された今月の春休み特番で、変わらず元気な”ヒトミばあさん”の姿を見たばかりだったのにー
今まで感染を気にしながらも、どこか対岸の火事であったコロナウイルス。
それが急に自分の目の前に現れた気がします。
もう、録画以外でけんさんのバカ殿様に会うことはないという事実。
「感染しても治るんでしょう」
そんな根拠のない自信は捨てないといけませんね。
平均寿命まで、まだまだ遠い70歳という年齢で逝ってしまった私の大スタア。
ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。