【仕事決まりました★】ミドルエイジ就職活動顛末記
獲ったどー!
苦戦していた仕事探しですが、運よく事務兼接客の契約社員に決まりました。
それもありがたいことに、50代がたくさん活躍している職場で65歳まで再雇用制度あり。
いただいたこのご縁を大切に、同年代の先輩方と細く長く頑張りたいと思います。
結局、登録した派遣会社の紹介予定案件では社内選考に落ち続けたマダム。
「あ、こりゃもうダメかな」と追い詰められて作戦変更したわけでございます。
ま、当たり前ですよ。
コロナ不況で40代の正社員が希望退職という名の首切りにあっているのに、48歳スキル無しの私が、今から紹介予定で正社員なんてあり得ませんわ。高望みしすぎよ。
結果、Indeed求人を見て最初に直接応募した仕事で予想外にあっさり決まってしまいましたとさ。
こんなことなら派遣登録するんじゃなかったー。あな恥ずかしや。
プロフィール欄には大したことのない職歴を、さも重要な仕事をこなしていたかのようにアピールしてしまったじゃないか。
この記事をご覧の中高年の皆様!
ミドルエイジは直接応募にこそ穴場ありよ。
特にビルメンテナンス会社とか、最近の若い子が敬遠する電話対応が多めの事務ワークでは、むしろ歓迎されるはず。
人事や労務管理の経験をお持ちなら、パートスタッフの採用面接担当もねらい目ですわよ、奥様。それもベテラン主婦からの応募割合が高い調理や清掃ワークの。
目には目を、百戦錬磨のミドルには同じミドルパワーを持つツワモノを、ということよ。
中高年が集まるところには、中高年を求めている職場があるのだ!
自分の子と同年代の若者と競争する必要はないんですのよ。
探す場所さえ間違えなければ、仕事は見つかるわ!!
なーんてね。
頭では理解していながら、いざ自分が応募する段階になると気分は25歳に戻っていた私が偉そうに言えることではないですね(笑)。
しかし、職探しの様子もすっかり様変わりしました。
直接雇用の案件でも、派遣会社経由で求人を出している会社が多数。正社員から正社員への転職はもちろんエージェント経由。
求人サイトを見ても勤務先が非公表だったりして、ほとんどミステリツアー状態です。
朝日新聞の求人欄が何ページも続いていた時代はいずこへ・・・(遠い目)
紙媒体の求人誌が姿を消す日も、そう遠くない気がします。
世の中における自分の位置付け、時代の流れ、その両方が大きく変わったのだということを実感した今回の再就職活動。
来月からの始動に向けて、存分に残されたロングバケーションを堪能しておきたいと思います。
【マダム、ただいま求職活動難航中】
ふと気が付けば、パートを辞めて9か月。
ええっ、ワタクシ1年近くも遊んでるの?!
そうですよ。うかうかしている間に、一つ年をとってしまいましたら。
娘の大学入学式が終わったら、早々に求職活動を始めてGW明けには新しい職場へ・・・
「もう時間を気にする必要もないから、もっと稼げる仕事を探そっ。景気良くて求人も多いし。高望みしなければいくらでもあるわよ~」
なんて呑気なことを考えながら紅白を見ていた2019年の年末。
甘―い、あまーい、甘かった!
そのたった2か月後にコロナウイルスが全世界を汚染して、こんなにも世の中が変わるなんて。
ああ神様、50歳を目前にしたマダムはどうすればよいのでしょう。若い人たちですらコロナ失職とか言っているのに。
「アホ、何でもいいから働け。旦那の給与もボーナスも間違いなく下がるぞ」
というごくごく当たり前のご神託に従い、職探しをスタートしました。
そこで、この年になって初の派遣登録を経験。
いや~WEB登録って便利な世の中になったねえ。
なんてウキウキしながら、大したスキルもないくせに「紹介予定派遣のみ希望」なんていう身の程知らずな強気のご要望。あな恥ずかしや。
昔やっていた業務と同じだからという理由で、受かる気満々で応募した2件のお仕事は・・・
見事、撃沈。
シーン・・・予想以上のショック!
学生時代のバイトから始まり、いろいろ経験してきたマダムですが、実は正社員以外の応募でダメだったのは今回が初。
就職氷河期と言われた新卒時の就職活動ですら、面接に届かないことなんてなかったのに・・・。
前職の時も「レア職種で若い人ばかりの職場だから駄目だろうな」と思っていたら、なぜか受かっちゃった感があり。それで今回も大丈夫だろうと、根拠のない自信を持っていたのです。
しかーし・・・
そっ、そうなんだ。
本当に年齢の段階で相手にされなくなるのね。
いや、スキルと経験の欠如か。
私、世の中舐めていたね。
とにかくいけそうなところは応募、応募。
先週末も直接応募の契約社員案件に履歴書送付しました。
絶対くじけないわよ。
ああ、来月の今頃は決まってるといいなー(叫)
【食わず嫌い克服大作戦(その3)】~拝啓、いつかの岡田将生様~
もはや何がテーマのブログだったのか分からなくなってきた今日この頃。こうなったらトコトン本末転倒してやるわ。
ということで本日は、この夏の猛暑で粘度が増した我が血液を、サラッサラに浄化してくれそうに涼やかな方を語って、食わず嫌いシリーズの有終の美を飾りたいと思います。
その人の名は、岡田将生。
左様、イケメンどころの騒ぎじゃない、あの絶世の美男子でござる。
え、そんな褒めてるのになんで食わず嫌いの話題に出てくるかって?
実はお恥ずかしいことにワタクシ、長い間この方をアイドルと勘違いしておりまして・・・その姿に見惚れることはあっても真面目に芝居を見たことがなく、いや正直、見ても心惹かれることがなかったのです。
なんというか、キレイすぎて無味・無臭。
画面越しに見えているのは岡田将生という名の芸術品であって、本当は人として存在していないんじゃないかーそんな風に思えてしまうほど、どんなに熱演していても、なぜか体温を感じられない俳優さんでした。
ようやく「ゆとりですがなにか」で「おっ、実は演技上手いんじゃない?」と気付きはしたものの、居並ぶ共演者のアクが強すぎて強烈な印象を残すまでには至らず。その後も風景でも見るかのようにスルーしておりました。
ところがこの自粛期間中に、以前、夫くんが熱心に見ていた「昭和元禄落語心中」をきちんと見直したところ・・・岡田将生の”生身の人間”としての魅力に開眼。
まず冒頭の白髪&シワだらけの八雲師匠の和服姿を見てびっくりしましたよ。ガリガリの痩身なのに、色気どころか妖気まで漂わせて名人の貫禄十分。しかもその佇まいから匂いが甦るんですよ、今はなき昭和の匂いが。
子どもの頃、祖父の部屋で嗅いだのとおんなじ、タバコと樟脳と仁丹と整髪料の匂いが入り混じった、昔の爺の香りが見事に立ち上っているじゃあないか。ついでに戦争を経験した世代独特の、肝の据わった凄みまで出てる。
ええっ、アンタほんとに、ふわふわパーマでいつもニコニコしてる岡田くんかい?
平成生まれの、イケメンの代表みたいな俳優さんのはずだよねえ。それがニコリともしない辛気臭さで、難役に息を吹き込んでいる・・・。
ああもう、こんなに立派な役者さんを”イケメン”なんて軽い言葉で片付けてきた私、バカバカバカっ!
本当に、ごめんよ・・・
見過ごしてきた、いつかの岡田くん。
どうかこの醜く愚かなオババを許しておくれ。
そしてそれに続く、八雲師匠の若かりし日々ー
菊比古時代の芝居には、もっと唸らされたのでございます。
菊比古というのは、未熟で自己中で、どうしようもなく拗らせてる男。
一見遠慮がちで礼儀正しいんだけど、どこか自分が優先されるべきと思っている太々しさがあって、人から与えられているものの大きさに気付かない。そうした性質に、足が不自由なことで味わう屈辱が入り混じっているから、もう大変だ。
その繊細な尊大さとでも申しますかねえ、一筋縄ではいかない感じを醸しだす岡田くんの狐っぽい表情や、嫌味すら感じさせる妙に落ち着き払った所作が秀逸でした。
そうかと思えば、足を引き摺りながらの竹槍訓練姿は痛々しくも乙女のように可憐、「死神」の稽古をつけてもらう時の健気で真摯な眼差しは憑き物が落ちたような清々しさで・・・
その天使と悪魔が同居したような表情に、あたしゃ完全にやられましたよ。座布団100枚!
私が見ている画面の向こうにはもう、何でもサラっと器用にやってのける”雲の上のイケメン俳優”の姿はなく、女々しく助六の背中にしがみつき、動かない足で地を這うようにもがく、ひとりの青年がいるだけでした。
この泥臭さがあったからこそ、助六やみよ吉の哀しさー自由奔放に見えて肝心な時には自分を差し出してしまう潔さーそれが何倍にも儚く光って見えたのです。
もしかしたら、八雲や菊比古をもっと上手く演じられる俳優はいたのかもしれない。でも、この世界観を作り出して、共演者まで輝かせられるのは岡田将生という役者だけ。
もう演技力がどうという話じゃない。
岡田将生という俳優が、彼自身の美しい肉体を使って若き菊比古の嫉妬や未練、傲慢といった業の深さを見事に昇華し、役者としての意地と気高さで70代の名人八雲すら捻じ伏せてしまった。
ついにこの人に心を動かされた。
いままで冷たい後光が射していた岡田将生という”ご神体”が、ずっしりと湿り気と温みを帯びた、血の通った人間になって立ち現れたのです。
見事に大役を生ききって、役と心中した岡田さん。
八雲ほどの人物に出会えることはフィクションの世界でもそうそうないだろうけれど、この人にならチャンスがまたきっと巡ってくるはず。
これからも、何度も役と心中しながら蘇ってください。
そして本物の白髪と皺のお爺さんになっても、どうか永遠に美しく。
次の代表作を心待ちにしています。
【食わず嫌い克服大作戦(その2)】若手イケメン俳優
食わず嫌いは、食べ物だけに限ったことではありません。
本日は食べ物とは別の話題で。
中学生の頃から、小難しい昔の映画やロマンスグレーのおじさま俳優に夢中だったマダム。
普通の女子高校生はみんなトム・クルーズに興味津々だった時代に、森雅之やらP・オトゥールやらに熱を上げる拗らせようでした。
全盛期のトレンディドラマには目もくれず、分かりもしないのに「ベルリン天使の詩」の試写会に行っては寝落ち、なんてことを繰り返していた10代の日々。もうほんとに青春時代の無駄遣いだわ。
こうして長年単館シアターや名画座を渡り歩き、
「40過ぎてはじめて男」
「漫画原作って何それ、ジブリ?」
などと嘯いてた私がですよ、50歳を目前にして、ついに若手俳優と娯楽作品の魅力に開眼してしまったのでございます。
その事実に気付くきっかけになったのが、この自粛期間中に加入したamazon prime。あり余る時間を消費するために、”おすすめ”で出てくる映画やドラマをイッキ見したところ・・・
ここ10年ほどの邦画の面白さに驚愕。それも漫画原作の青春群像劇のレベルが高い高い。
何がってまず、脚本がすごい。
本物の政治抗争が絡んでいる名門男子校の生徒会選挙という分かりにくい話を、ここまで小気味よく面白くまとめられるとは!恐れ入りました。
そして出演者全員の”本気”にブラボー★
キャストの誰もが、この作品を成功させたいと願っていると分かるほどの全力投球です。
なのに「俺が、俺が」のアピール合戦に陥ることなく、全体の調和はバッチリ。ブレイクを狙う若手ばかりの作品で、悪目立ちする人が一人もいないってすごいこと。みんなが限られた出番とセリフの中で、与えられた役を的確に演じきっています。その証拠に、何十人もいるキャストのキャラがきっちり立っているではないか。
まあ監督の力量が素晴らしいのは言わずもがな、何だろう、この演者たちのクレバーな情熱。作品における自分の位置付けを冷静に理解しつつ、少年漫画独特のおバカなテイストを失わないとは。
平成生まれのイケメン俳優恐るべし。
そしてそのラスボスとも言えるのが主演の菅田将暉。
帝一というこの役、確かにクセはあるものの、若手ナンバーワンの呼び声高い彼なら、もっと力を抜いて軽くこなすことだってできるだろうに、これでもかというほどの大熱演。
およそ少年漫画のヒーロー像からはほど遠い、少々卑劣な主人公を泥臭く演じています。
主席の座を守るために必死で勉強したり、勝つために計算高く選挙活動してみたり。なり振り構わないその姿は、演技を通り越してまさに菅田くんそのもの。この人はきっと天才肌なのに、どんな作品のどんな役でも嘗めてかからないのでしょう。帝一と同じ必死さで役を作り込んでいるからこそ、滑稽であればあるほど胸を打たれる。それに引っ張られて共演者もマックスの力を出さざるを得ないのだろうし。
また、主演だからとイイトコ全部持っていかずに、ヒーローな部分は潔く竹内涼真に預けてしまってるのも天晴れな心意気ですね(笑)。
そりゃ、この人の出る作品は面白いはずだわ。この若さで座長としても一流なのね。「キングダム」の山崎賢人にも同じ匂いを感じます。
ヨシ決めた。
応援しましょう、若手のツートップ。
今さらだけど、ボソボソ喋るマイナー作品ばかり見て〈違いが分かるオンナ〉の振りをするのはもう辞めよう。
若い人が頑張る姿は理屈抜きで美しい。そう、面白いものは面白いのだ。
実写上等、イケメン俳優万歳!
もう一人語りたいイケメンさんがいるので、続きはその3で。
【食わず嫌い克服大作戦(その1)】カレー風味
ジッと我慢の自粛生活が終わって、あっという間に季節は夏。
この3か月の間、毎日作り続けた大人3人分の昼食のおかげで、冷蔵庫や戸棚に放置されていた賞味期限スレスレの食材たちもすっかり消費されました。
コロナ以前はその存在をスルーされていたお麩や春雨といった乾物+缶詰たちが大活躍!
中でも、長年敬遠してきた「カレー粉(ミックススパイス)」を使い切ったのはマダム的には大進歩でしたね◎
いえね、”ハウスバーモントカレー”に代表されるルウを使用したカレーライス自体は大好物なんですよ、私。
でも粉末のスパイスを使ったカレーピラフやカレー風味のスナック菓子になると途端に拒否反応が起きるんです。
なんでだろう。匂いは強烈に食欲を刺激してくるのに、食べてみるとあっさりしすぎというか、コクが足りない裏切られ感が許せなくて・・・やっぱりカレーはドロドロしていてほしい。そんな理由でサラサラのスープカレーも受け付けず。
まあ、だから血液もコレステロールでドロドロになってしまうんでしょうけど(笑)
そんな主婦がいる家になんで「カレー粉」が存在するのかって?
実は我が家は食材配達の”ヨシケイ”さんに長年お世話になっておりまして。
結構「カレー粉で味つけ」するメニューがあり、そのたびに小袋に入ったカレー粉が届くんでございます。
が、「カレー風味いやー」というマダムのわがままにより、ほぼ毎回、別の味付けにチェンジ★
使用しなかったカレー粉を放置してきた結果、黄色い小袋の束が冷蔵庫内の一角でひっそりと、しかしシッカリと幅をきかせていたのです。
しかしほかの調味料が次々と使い切られて姿を消す中、その存在感は日増しに大きくなり・・・
ついに、テレワークで冷蔵庫を開ける回数が多くなった夫くんに見つかって「コレ、なんで使わないの?俺がカレー味好きなの知ってるくせに!!」と攻撃を受ける羽目になりました。
で、苦し紛れにまず手始めに作ってみたのが
タンドリーチキン
同じく冷蔵庫に眠っていたハチミツの残り+ヨーグルト+チューブ入りショウガをもみ込んだ鶏肉に、さささーっとかけたカレー粉末を練り込んで、後はグリルにお任せ。カレー粉はなるべくたくさん消費したいから、ちょっと入れすぎた感ありでしたが・・・
いや思った以上に簡単だね。手はいつまでもカレーくさいけど(笑)
焼いている最中の香りも素晴らしい。でも匂いに騙されてはいかん。きっと辛いだけで、うっすーい物足りない味だぞ・・・
と思いつつ食してみると・・・おや、とても美味ざます。
ご家族の皆様にも大好評。
「お店で出てくるみたいな味」だったそうです。
ハニー&ヨーグルトのおかげかしら。
こんなことならもっと早くに作ってみればよかった。
これに気をよくしたマダムが次にトライしたのが
シーフードカレーピラフ
使いかけで残っていた冷凍シーフードミックスを利用して炊飯器で作製しました。
具材にはみじん切りした玉ねぎとぶなシメジ を入れ、味付けは塩+コンソメキューブ+カレー粉のみ。
いやはや炊いている途中の匂いが極上!
もうご家族の皆様の全身が嗅覚になって、給食前の小学生のようです。お前ら、仕事も勉強も手についてないだろ!
で、散々期待させて「いただきまーす」したところ・・・
アレ、味としてはごく普通でした。
いやおいしいんですが、香りほどではなかったというか。まさに私が今まで嫌ってきた底の浅いカレー風味じゃないか。うーんコンソメ以外に隠し味の調味料が必要であったと思われる。さすがのシーフード出汁も、カレー風味が相手では負けてしまうのじゃね。
で、リベンジするぞ!という気概で挑んだのが
ドライカレー
ひき肉とショウガに加えてナスにピーマン、かぼちゃ、セロリ・・・水は入れずにフレッシュトマトとカレー粉で勝負じゃ。今回は作りながら味を確認できるので、普段は面倒がって使わない隠し味を試してみることにしました。
まずケチャップから始まって、とんかつソースをちょいとかけたら、いつ使ったのか分からないお好み焼きソースも少々。なんかもっと意外性のある味にしたかったから食べるラー油の残りとマルコメの合わせ味噌もひとさじ。ついでに冷蔵庫にへばりついていたナンプラーの小袋も投入。トドメに、入れるとうまくなると噂の塩こぶを刻んでポイッ!
さて、お味は・・・ややっ、これは旨いではないか。
匂いはカレーだが、味はもはやカレーではなく多国籍風アジアン料理、でもグッドよ💛白いご飯のおいしさも引き立つ味だわ。
残った分は翌日チーズとともに食パンに挟んでホットサンドに変身。ああ、またコレステロール値が上がりそう。どうしてヘルシーでない食べ物はこんなにおいしいのでしょう・・・
気が付けば 10袋以上あったカレー粉の小袋はきれいになくなっておりましたとさ。
確かにクセも主張も強いけど、調理次第でいい味出すじゃないか、カレー粉くん。今まで避けていてごめんね。
次にカレー風味メニューが出たら、嫌がらずにレシピ通り使ってみよう。
【さらば、ケンタッキー&ミスド】地元のファストフード店が消えていく
家族のテレワークとオンライン授業で自由にパソコンを使わせてもらえない今日この頃。気が付けば、また1ヶ月以上も更新を怠っておりました。
さて、本日はマダムの住処周辺のお話を少し。
東京都郊外の街に住むようになって、かれこれ四半世紀になるワタシ。
最寄り駅の周辺は昔からの商店が強く、書店も文房具屋もケーキ屋も、いまだ昭和のスタイルを保ちながら、不動の存在として地元民に愛されているような場所です。
そのせいか新参のお店が商売を長く続けるのは難しいようで、これまでも数々の飲食店や雑貨店が現れては消え・・・を繰り返してきました。
とはいえ姿を消す店の多くは、一時的なブームに乗ったもの。
油そばに米粉パン、最近ではタピオカといった感じで、もう開店当初から「いずれ流行りが過ぎればサヨナラ、続けば当たり」というドライさを漂わせています。
だから閉店しても「次は何が来るんだろうね?」ぐらいの感覚でした。
しかし昨年あたりから、ちょっと様子が違うんです。
ミスドに茶月にケンタッキー・・・
30年以上この地に根差して頑張ってきた有名チェーンの店舗が、次々と閉店することに。
マダムのアンテナが低いからなんでしょうけど、いずれのお店とも突然のお別れになってしまいました。
「今日はずいぶん人だかりができているな」
と思ったら最終営業日だった茶月。
コラボ商品を買おうと3ヶ月ぶりに行ってみたら、
全然知らない居酒屋になっていたミスド。
そしてクリスマス前に行った時は何の変わりもなく営業していたのに、突然張り出された
「1月末日をもって閉店します」というケンタッキーのお知らせ。
いずれも閉店してだいぶ日が経つのに、なぜが今でも果てしない喪失感を味わっています。
ええ、頭ではわかっているんですよ。
どれも全国チェーンなんですから、隣駅まで行けば同じ商品が簡単に手に入る。
味も値段も一緒。なのに、それでは物足りないんです。
「あの店舗」じゃなきゃいけないと思う自分がいる。
不思議ですねえ。
きっと独身→新婚→若ママ→ベテラン母・・・
という激動の半生を、この街のファストフード店と一緒に過ごしてきたからなんでしょうけど。
ケンタッキーとビールで晩御飯だったOL時代ー
残業で夕飯の準備が間に合わず、仕方なく茶月の握り寿司を買って帰ったら上機嫌になった若かりし日のダンナー
ベビーカーで入れるレストランがなかった時代に気軽に外食させてくれたミスドの広い店舗ー
お絵描き教室の帰りに買ったリラックマのコラボドーナツたちー
「今日はお弁当要らないからケンタ用のお金ちょうだい」と言い放ったJK時代のわが娘ー
速さと安さが売りのファストフードだけど、それぞれのお店に、それぞれの時代の思い出が詰まっていました。
正直、味とかお店の格とかどうだっていいんです。
”あの時の私”に会える場所が、そこに存在してくれさえすれば。
そう思うからこそ、「あの空間がもうない」と考えるだけでとてつもなく淋しい。
そんな大事なお店だったのに、私は安売りの時ばかり狙って行ってしまった。
近くのコンビニでチキンを売り出したら「これでいいか」と便利さに靡いてしまった。
後悔しても仕方ないし、自分一人が頑張って通いつめたところで閉店は免れなかっただろうけれど。
今更ながら気づきましたね。
大事なものは、大事にしないとあっけなく無くなってしまうということに。
外食をしない自粛中のせいか、珍しくそんな感傷に浸ってしまったマダムです。
【コロナ雑感 志村けんさんの訃報に思うこと】
つい10日ほど前は、何となく解放的な雰囲気が漂っていた我が家。
何年かぶりに特上寿司の出前で卒業祝いをしたり、引っ越し準備をしたり・・・
そんな浮かれ気分が、この1週間で完全に覆ってしまいました。
娘の大学は、授業開始も入寮も延期の上、前期は完全オンライン授業に変更。
夫の会社も急きょテレワークへの切り替えを決断しました。
ニュースを見れば急激に増えていく東京の感染者数。
そして今日、入院中だった志村けんさん逝去のニュースがー
もう「ウソでしょう?」としか言えません。
志村さんと言えば、アラフィフ世代の私にとって特別な人。
どんなに時代が変わっても、子どもたちの、そして親子で楽しめる時間帯の”スタア”でした。
今から40年ほど前の昭和後期―
当時、毎週土曜はドリフの「全員集合」の日でした。
相当厳しい家でも「学校で話の輪に入れなくなる」という理由で、この番組だけは視聴OKになっていたもの。
音楽の時間に「カラスの勝手でしょ~」と歌って怒られたり、
給食の時間に鼻から牛乳を出すギャグの真似をしたクラスの男子が校長室に呼ばれたりして、PTA的にはいろいろ問題もありましたが、結局は親や先生も楽しんで見ていた番組です。
松田聖子をはじめとするトップアイドルの出演も多く、
華やかさと同時に手間のかかった大道具を盛大に壊す痛快さを味わえる、お祭りのような時間でした。
そしてドリフの流れで、なぜか9時からの土曜ワイド劇場も見ていたマダムの実家。
子どもの時間と大人の時間がはっきりと区別されていたこの時代。
ドリフでバカ騒ぎした直後、急に明智小五郎(天地茂さんだった!)や金田一シリーズのおどろおどろしい暗い画面に切り替わる瞬間に、なんとも言えない興奮があったことを鮮明に覚えています。
その後、全員集合が終了してからも、
夏休みや冬休み前の特別な時期には必ず”バカ殿”や”変なおじさん”になってテレビに登場し、笑わせ続けてくれた志村さん。
私は大人になってからも、季節の変わり目には必ずバカ殿を見て次のシーズンへの切り替えをするようにしていました。
毎度お約束のワンパターンな話の展開に安心しつつ、毎回変わるゲストのフレッシュな反応を見る面白さはやめられない。
あらもう自分自身が変態バカ殿ですね。
しかし考えてみれば、”バカ殿”というあのキャラ、当初は前代未聞の斬新な概念だったはず。
だって昭和や平成の初期ってまだまだ「お殿様」を笑い者にするのはタブーな時代でしたから。
あの独特のおかしさは、白塗りにおちょぼ口メイクという見た目の突飛さだけが醸し出すものではない。
「お殿様=ヘンでも形式上は敬うもの」という既成概念を打ち破り、笑ってはいけないものを笑いものにしてしまったチャレンジ精神にあるのではないかと思っています。
そして時代は平成を経て令和へ。
親とともにバカ殿を見て育ち、「しむら動物園」を心の支えにして成長した21世紀生まれのわが娘は、高校生になってからも季節ごとの「だいじょうぶだぁ」の放送チェックを怠りませんでした。
だからついこの前放送された今月の春休み特番で、変わらず元気な”ヒトミばあさん”の姿を見たばかりだったのにー
今まで感染を気にしながらも、どこか対岸の火事であったコロナウイルス。
それが急に自分の目の前に現れた気がします。
もう、録画以外でけんさんのバカ殿様に会うことはないという事実。
「感染しても治るんでしょう」
そんな根拠のない自信は捨てないといけませんね。
平均寿命まで、まだまだ遠い70歳という年齢で逝ってしまった私の大スタア。
ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。