【番外編◎葬儀今昔ものがたり】
先日、親族の葬儀に参列した私。
故人は高齢の大往生だったこともあり、特に嘆き悲しむ人もおらず。
終始和やかで、久しぶりに逢う親戚との交流の場でした。
30年前の祖父の葬儀で逢って以来、
という従兄妹達もチラホラ。
当時はまだ子どもだったような面々も、
今では立派な中高年。
既に亡くなった伯父の代理でという従兄もいます。
しかも今回は首都圏の斎場での葬儀。
近親者と仲の良かったお友達だけの家族葬は、
焼香や読経、その後の歓談も含めて2時間程度であっさりと終了しました。
祖父の時は四国で、しかも自宅葬だったもんね。
あの時のドタバタを考えたら、もう嘘みたいに穏やか。
多分参列したいとこ達も、みんなそう思っていたはずです。
あの時は、おじ・おば達もまだ元気で若く、その分、衝突も多かった(笑)。
誰に何の役割を頼むかで揉めてみたりね。
さすがに料理は仕出し屋に頼んでいましたが、
田舎の葬式はお寺のご住職やご近所、遠縁の親戚のもてなしは必須。
参列者も多く、みんないったんお膳の前に座ったらもうエンドレスの大宴会です!
お酒やおつまみ、お茶、お菓子の用意で、
女衆はずっと台所に張り付き。
若い者や年長の孫達は、その運搬係。
昔の日本家屋に独特の、狭くて急な階段を上がったり降りたりを繰り返さないといけません。
それでも、やれ酒が熱すぎる、お茶を持ってくるタイミングが悪いだの、お嫁さんたちは小姑に色々言われていましたね。
特にひどかったのが、結婚したばかりの従兄のお嫁さんの扱い。
跡取りの孫の嫁ではないから、本来参列だってしなくてもいいはずなのに・・・
わざわざ東京から遠征させられた挙句、
完全に労働力要員。
全く勝手の分からない田舎の台所に放り込まれて立ち往生です。
なんとも気の毒。。。
もともと都会育ちのお嬢さん
というのが気に入られなかったのか、
役に立たないという理由で女衆からは完全シカト。
普段は優しい伯母たちや、自分の母親の底意地の悪さに、正直ゾッとした記憶があります。
そんな調子だから、肝心の遺族も親族も、
誰も故人を偲ぶ暇ナシ!
だって、みんな自分が一人前のデキル人間であることを証明するために一生懸命なんだから。
悲しむどころか、大人たちは妙にテンション上がってる状態でしたよ。
爺様やおっさん達は酒飲んで大騒ぎ、ババアたちは新入りの嫁いびりと悪口大会で憂さ晴らしして終了というイベント。
高校生だった私は、将来の自分の姿を見たようでウンザリしていました。
葬儀って、日本全国どこでもそんなものだと思っていましたから。
で、就職してから職場のお偉方の葬儀の手伝いに駆り出された私。
代々東京にお住いの華麗なる名門のご一家でしたが・・・
もう色々な意味でカルチャーショック!
その合理性+参列者のスマートさ。
基本、式の運営自体は斎場のプロと会社関係者が担当。
料理の数や車の手配といった雑多なことに煩わされることなく、
ご親族は、しっかり故人を偲んでいらっしゃいます。
一般の参列者も皆弁えたもので、長居をしたり、
接待されるべき客であるかのような振る舞いをすることもありません。
もちろん規模の大きな葬儀だったので、
いろいろ判断を迫られる喪主のご心労は、それは大変なものでしたが・・・
仕事でのライバルでもあった故人の盟友が読まれる弔辞は、
形式や常識に全くとらわれない心のこもった内容。
さらに学生時代のご友人たちが、亡くなった友に贈るコーラスを始められて・・・
とにかく、参列するすべての人が
”故人と最後のお別れをしたいから来ている”という当たり前の事実に、私は心打たれました。
もちろんそれは都会だからという理由ではなく、
故人の生き方と優れた人徳ゆえ。
在職中に亡くなったという事情も関係していることは理解していますが。
こんなにも”義理や付き合い”という言葉が似合わない本音の冠婚葬祭があることを、
まったくの他人様の葬儀で知った次第でございます。
で、今回参列した葬儀に話を戻すと・・・
喪主の妻として立派に義務を果たされていたのは、
その昔いじめられていたお嫁さん。
今では立派な一家の主婦です。
いじめていた側は、みんなヨボヨボのおばば様。
もう悪口を言う気力もありません。
世代交代。
親つながりの親戚づきあいもそろそろ終わり。
もしかしたら、逢うのはこれが最後という従兄妹もいるはずです。
さて、自分の葬式はどうなるものか。
まずは往生際よくこの世を去れるよう、コレステロール値下げないとね。